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3度目のストップ


 
登坂路の途中、峠までの残り距離は18km。

脚は痙攣し、体温調節とエネルギーの循環回路も平常ではない状況にありました。
ここで登りの中間地点である、サンマルタンドベルヴィルの補給所に差し掛かり、一旦ストップを決断し、タイムロスを受け入れて回復をはかることとしました。

すでに目標からは大きく遅れ、登りで多くのライダーにパスされながら、心理的にも「走りきるのすら危ういのでは?」と弱気になるような状況でした。


 補給地点のバイクラックに近づいてバイクを降りようとしますが、固定ペダルを外そうとする脚が痙攣して捻ることができません。

脚を固定したままバイクラックを腕で掴み、逆の脚を試しますが、今度は臀部が痙攣してしまい、加えて、体の背面や腹筋部に近い箇所が攣りによる緊張状態となり、危険な状態に近いことを知らせていました。


 バイクにまたがったままの状況でしばらくの時間を要してから、補給所にいたボランティアスタッフに水分とエネルギーが必要なことを伝え、バイクから降りられないままの状態で
コーラ、生ハム、オリーブ、エナジージェルの補給を行い、ほどなくすると脚の緊張がほぐれて固定ペダルを外すことができました。


 全身に広がる攣りと痙攣は、選手時代にも経験がなく、生命的にも危険な状況であると感じたため、この時点で3度目のストップが長時間にわたることを受け入れました。

補給物資が山積みされた補給所の裏側には、私と近い状況の多くのサイクリストたちが、物資の開封によって空いた段ボールを利用して横たわっており、私も迷わず同様の選択をしました。

横になろうとした時に再度脚部と腰部を攣り、介抱の為に伸ばした腕と肩も攣ってしまう様な弱々しさでした。

 しばらくすると、水分、ミネラル、エネルギーのバランスが一定程度整ったらしく、攣りと痙攣は収まり、再スタートを踏み切れる状況に近づいていました。




ヴァルトランス 


 補給所を後にしてからはほとんどの記憶がありません。

今思うと、運動を継続しても良いレベルの状況ではなかった訳ですが、
この時には、とにかく、最も軽いギアで最低限の回転を維持して距離を消化することを考えることしかできませんでした。


 本当に長いと感じました。

選手時代には全く経験をしたことのない、途方もない苦痛と向き合っていたと思います。

でも、絶対に走ることをやめたくないという固い意志がありました。


走り切った先のものを見ずに、挑戦した意味と向き合わずにあきらめる選択は絶対にないと思っていました。

ここまできたら、何人に抜かれたって、這ってだってゴールを自分で切ってその景色を見てやるという強い意志が沸いていました。


 これ以降は、先に見えるスノーシェードを過ぎ、雪と氷の溶けた水が満たす湖を右手に見ながら、右に左に蛇行しながら、行く先が頭上にあるような延々とした九十九折の坂路をひたすら進みました。


 さて、今回がフィナーレの予定で原稿を書き進めてきましたが、書きたいことが思いのほか多くなってしまいましたので、フィナーレは次回に持ち越しです。

 



若杉厚仁
Wakasugi Atsuhito

Profile
1989年10月14日生まれ。千葉県出身。
宇都宮ブリッツェンでプロデビュー。
2013年に那須ブラーゼンに移籍、選手権取締役運営マネージャーに就任。
シーズン末に現役引退。
2016年より那須ブラーゼン運営会社「NASPO㈱」代表取締役社長を務める。