―栃木での野球を振り返ると…?
BCリーグ、栃木に行くことを決めたとき、はじめは色々と葛藤もありましたが、今は心の底から
栃木に来てよかったと思います。
真剣に野球をする若い選手たちに出会えたし、同じ環境で汗をかきながら色んなことを学びました。
グラウンド整備とか学生の頃は当たり前だったことを(NPBの中で)忘れていて、それを思い出す
ことができてよかった。
一回り以上年下の選手と長距離のバス移動など過酷な経験もできた。話に聞くだけでは何にもわか
らないですから。バスに揺られて栃木と滋賀の往復は、なかなかの経験でしたね(苦笑)今後どう
野球に関わっていくかわかりませんが、この1年が良い1年だったといえるように、今後の人生を
歩んでいきたいです。そして、栃木のファンのみなさんはいつもたくさんの方が応援に来てくれて、
まだプロ(NPB)でやっているんじゃないかと錯覚するくらい熱い応援でした。
―栃木での過ごし方。
これまでと同じように野球をして、野球のことを考えた。ただ時間がかなりあったので、ひたすら
本を読みました。
指導していく上での心得の本も読みましたし、英会話スクールにも通ってました。巨人時代に優勝
旅行でハワイに行ったり、自主トレでグアムに行ったりして、息子たちも行くことがあったので、
食事とか買い物の時に話せたらオヤジとしてカッコいいな、と。人生のプラスになるかなと思って
小山駅前のスクールに登録して、練習のあとに半年くらい通いました。野球の後の生活に役に立つと思うし。
実際、(外国人選手の)ジョン(・ソテロプロス)とかルーカス(・ホジョ)と英語で話せるように
なったし、向こうもわざと聞いてくるので、知ってる単語と最低限の文法でやりとりできるようにな
りましたね。
それから、真岡の「まんぷー(一万人プール)」。夏休みで息子たちが来ていたので、休みを使って
いきました。流れるプールで流されながら、周囲の家族に「頑張ってください」ってよく言ってもらい
ました。野球やっている子たちにも声かけらながら、ぐるぐる流されてるっていう状況。面白かったです。
―この先は…?
野球が好きですし、いつまでも野球をやっていたいのは山々ですけど、受け止めて前に進まないといけない。
後退することは僕の中にないので、停滞することもしない。前に進むために色んな決断をしてきた。
今までずっとプロ野球でやってきて、FAして、ここに来た。それを否定したくないし、悔いが残っている
こともないし、前に進むための決断だと思ってもらえれば。
先のことはまったく未定。野球に関わっていけたらいいなとは思っていますけどね。今まで経験したことを
伝えることなのか、野球を見て解説するのか、指導をするのか、大きく分けるとこの3つ(講演、解説者、
指導者)だと思うので、どんなお誘いがあるのか。オファーがなければ仕事できないので、声がかかったと
ころと自分のやりたいことが合えばね。家族に迷惑がかからないように、来年は新しい道を探って仕事をしないと。
―村田選手にとって野球とは。
野球があったおかげで〝村田修一〟っていう人間を知って頂いて、多くの方が応援してくださった。野球の
おかげでここにいられるので、本当に感謝している。
野球ができる喜び、それを次の世代に伝えていくのも野球に助けられてきた僕の役目だとも思っています。
そういう意味では色んな携わり方があるのではないかと思います。
―ファンへのメッセージを。
みなさんの声援のおかげで最後まで元気に野球することができ、本当に幸せでした。これから若い選手が伸び
てくるので、今後のブレーブスにも期待してもらえたら嬉しいです。
どこかでお会いできたらまた応援して頂ければ僕の活力になります。今後とも村田修一をよろしくお願いします。
30年間、ありがとうございました。
取材後記
これまでのインタビューで、「自分の正しいと思った道を進む」「ファンのために一本でも多く」「ブレーブスの
ために真摯に野球に取り組む」と度々口にしていた村田選手。これらの言葉すべてをプレーで体現して見せてくれた。
最終戦後、チームメイトはみな涙ぐみ、号泣する若手選手がいたほど。別れを惜しむ選手たちと堅い握手を交わし、〝
コワモテ〟と言われていたなんて信じがたいほど優しい笑顔だった。出し惜しみすることなく野球の知識、情熱を後輩
たちに伝えてくれた。その功績をしっかりと未来へと受け継いでいくことこそが、村田選手の栃木での1年をより輝せる
のだと思う。頑張れ!ブレーブス!ありがとう村田さん!