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2021.08.12

世界と地元のアスリートを応援する、元祖宇都宮ステーキ


本澤建築設計事務所では、建築設計を主要事業に、「ベルステーキ江曽島本通店」での飲食事業と、「デイサービスセンターみやスマイル」での福祉事業と、3つの事業を経営の柱にしています。
今回は飲食部門である「ベルステーキ」についての話と、この店をきっかけに柔道世界女王の朝比奈沙羅のスポンサーになった話、この2つの話題について書いていこうと思います。


朝比奈沙羅選手について

ご存じの方も多いかと思いますが、朝比奈沙羅選手は、2020年より獨協医科大学医学部に在籍し、医学生と柔道家の二足のわらじを履く“闘う医学生”として知られているアスリート。
最近では、6月にブダベストで開催された柔道世界選手権の女子78キロ超級での、冨田若春選手との対戦で話題になりましたが、記憶に新しい方も多いのでないでしょうか?
この件については称賛の声が多い一方で、様々な意見が上がっていますが、これに対する僕の考えは、後ほど述べたいと思っています。

まずはその前に、朝比奈選手との出会いのきっかけとなった、「ベルステーキ」について述べていきたいと思います。


ステーキ宮と、宮のたれ

80年代から90年代にかけて、本澤建築設計事務所では、アルペングループなど多店舗展開企業の店舗設計を手掛けており、チェーンストア型の飲食店や小売店に関する設計ノウハウに長けていました。
そのようなこともあり、新規店の建築設計を担っていたのが、東日本を中心に当時約180店舗を展開していた『ステーキ宮』です。
ステーキ宮と言えば宇都宮ではその存在を知らない人がいないほど、地元に根付いたステーキ専門レストランで、その店名は「宇都宮」の宮から名付けられています。
ステーキ宮は、大谷地区で石材業を営んでいた創業者の鈴木栄一さんが、初めて食べたステーキのおいしさに感動し、1975(昭和50)年に創業。
それまで「特別な日のごちそう」だったステーキを、もっと気軽に味わって欲しいと手頃な価格で提供したことから、宮っ子たちの間で人気となり、瞬く間に店舗数を拡大。その後ステーキチェーンとし急成長を遂げた躍進企業でした。
当時、本澤建築設計事務所のスタッフは、出店候補地の現地確認をするため、宮の店舗開発部と方々と一緒に日本各地を飛び回っては、ガスや上下水道などのインフラや法規制などについての事前調査を行なっていたのです。

ところで有名な“宮のたれ”ですが、そのルーツは、1932(昭和7)年創業の老舗ステーキ専門店『存じやす』の“特製たれ”だと言われています。
それまでのステーキは、ワインやバターなどを煮詰めた西洋風のソースで食べるのが一般的でしたが、1957(昭和32)年に存じやすさんが考案したのが、醤油と玉ねぎベースの“特製たれ”でした。
もともとは賄い用だったといいますが、日本人の下に馴染み深い醤油仕立てのステーキたれはジワジワと客の間でも人気となり、やがてオリジナルのたれとして定着していったそうです。

この“存じやすのたれ”は、同店の門弟だった『ステーキ桂』や『グリル富士』などの有名店を通じ、宇都宮市民に知られるようになっていたのです。
そして、その流れを組むのが“宮のたれ”なのです。

高級店ではなく、家族で気軽に楽しめる大衆向けの『ステーキ宮』だからこそ、その味が宇都宮で広くで愛されたことは想像に難くありません。
その後『ステーキ宮』の店舗拡大に歩調を合わせ、“宮のたれ”の味わいは、栃木県内はもとより近隣各県にまで広まっていきました。

現在、北関東ルーツのステーキ店では、主にすり下ろし玉ねぎと醤油ベースのステーキソースがメジャーですが、これもステーキ宮の多店舗展開と関係していたのではないでしょうか。


ステーキ宮の創業者、鈴木栄一氏の志を受け継いで

ステーキ宮の運営会社「株式会社 宮」は時代の波に乗り、レストランや居酒屋、焼肉やとんかつなどの新業態を展開。
さらに飲食部門に加え、不動産部門、福祉部門などへも事業範囲を拡大していきました。
しかし絶頂期は長くは続かず、2003年にはメインバンクである足利銀行が経営破綻。さらには時を同じくして2001年から2005年にかけてはBSE騒動が相次ぎました。これらの逆境を期に「株式会社 宮」の経営は苦境に陥り、鈴木栄一氏をはじめとする創業家は経営から退いたのです。
宮を売却した鈴木栄一氏は、宇都宮市内に大型ショッピングモール「ベルモール」を立ち上げました。

とはいえ、鈴木栄一氏のステーキへの情熱は尽きることがなく、長年にわたり自身を支えてくれた「地域のお客者への感謝」を胸に、原点に立ち戻って、再びステーキ店を立ち上げました。
それが『元祖宇都宮ステーキ ベルステーキ』です。店舗の内外装材に「大谷石」を使用していることや、鈴木からとった「ベル」の文字が店名に入っていることからも、鈴木栄一氏の想いの強さがわかります。
郊外型チェーンレストランのステーキ宮とは異なり、ベルステーキは地域に根差したカジュアルな小型店舗というコンセプトでした。それゆえに、鈴木栄一氏の「リーズナブルな価格で本格的なステーキを提供する」という創業以来の志が、より一層の際立った店舗だったと言えるでしょう。

ベルステーキは、1号店、2号店と直営店を相次いでオープン。両店ともステーキ宮時代からのご縁から、店舗設計は引き続き本澤建築設計事務所の担当でした。


そして続く3号店の店舗オーナーとして出資することになったのが、本澤建築設計事務所だったのです。
3号店は、「ベルステーキ江曽島本通店」として2007年に開業。以来、鈴木栄一氏から受け継いだ「元祖宇都宮ステーキ」の味を守り続けてきます。


地元ラグビーチーム、宇都宮ヴォルツを食で応援

『ベルステーキ江曽島本通店』は、今年でオープンより15年目を迎えました。
コロナ禍という逆境の中、今まで店を続けてこられたのも、地元の方々をはじめ多くのお客さまが支えてくださったおかげと、深く感謝しています。

その恩返しの気持ちを込め、ベルステーキでは「地元のスポーツチームやアスリート」のサポートを行なっており、ラグビークラブチーム・宇都宮ヴォルツと、前述の柔道家の朝比奈沙羅選手のスポンサーとして、微力ではありますが支援活動をさせていただいています。


宇都宮ヴォルツ」は、ラグビー東日本トップクラブリーグに所属するチームで、同じ地区の神輿の担ぎ手と仲間でした。
スポンサーになったきっかけは、一緒に飲んだ席でつい勢いで「今シーズン優勝したら全員にステーキをご馳走する」と啖呵を切ったことでした。
最初は僕も「まさか優勝までは…」と軽い気持ちで見守っていたのですが、なんと本当に優勝を成し遂げてしまったのです。


これはただ事ではありません。というのも宇都宮ヴォルツのメンバーは総勢50人ほど。当然そのほとんどが人並み外れた大食漢であることは明白ですから、食べる量だった半端ではありません。当然ながら、仕入れ価格だけでも相当の額になるはずです。

すっかり青くなった僕は、大慌てで他のスポンサーにも協力をお願いし、なんとか約束を果たしたのでした。


それ以来、事務所として正式にチームスポンサー企業となり、ユニフォームの背中に「ベルステーキ」のロゴを入れてもらっています。


世界と戦うトップアスリート、朝比奈沙羅選手も認めた熟成赤身肉

ベルステーキがサポートするもう1人のアスリート、朝比奈沙羅選手は、医師への道を志し獨協医科大学に通う2年生。
東京オリンピックでは、柔道女子78キロ超級代表補欠に選抜されており、在学中に開催される栃木国体はもちろん、2024年パリで開催される次期オリンピックへの出場も期待される柔道家です。
文武両道の二刀流を貫く朝比奈沙羅選手は、「ビッグツリースポーツクラブ」に所属。ビッグツリーの施設をトレーニングの拠点にしているほか、自分が高校時代に所属していた作新学院柔道部でも練習に励んでいるなど、まさも地元を代表するトップアスリートです。

余分な脂肪分が少なく、高タンパクで低カロリーな「熟成赤身肉」が看板メニューであるベルステーキとしても、この朝比奈選手の体づくりに貢献したいと、主に食事面でのサポートを中心に支援活動を行なっています。

余談ですが、ベルステーキで使用している良質な赤身肉は、筋肉をつけたいという方にとっては最適な食事メニューです。
この辺りについては、こちらをご覧ください。

筋トレブーム!ベルステーキが応援します


朝比奈選手は来店された際は、その日の体づくりに最適な料理をセレクトして召し上がっています。
こちらとしても、食材の品質や原産地を厳選するだけでなく、ドーピングの問題などが発生しないよう、様々な面で細心の注意を払っています。
朝比奈選手が召し上がる料理は、お店で出しているメニューと全く同じものですので、ここ一番の「勝負メシを」としてもご活用されてはいかがでしょうか。

もちろん、テイクアウトもOKです。世界のトップアスリートと同じメニューをぜひ味わってみてください。


朝比奈沙羅選手との出会い

朝比奈選手のスポンサーになったのは、地元で有名な「黒潮鮨」の小野惣也社長から連絡をいただいたことがきっかけでした。
黒潮鮨の西川田店とベルステーキ江曽島店は隣り合ったエリアに立地していることから、「独協医科大学に通いながら、柔道に励んでいる地元アスリートをサポートしてるのですが、本澤さんも一緒にいかがですか?」と声をかけてもらったのです。

それが、“闘う医学生” 朝比奈沙羅選手でした。

沙羅選手は、祖父が歯科医、父が歯科麻酔科医、母が歯科開業医という医系の家庭環境で育ったことや、柔道を続ける中で整形外科医の存在が常に身近だったことから、自然と医師を志すようになったそうです。
沙羅選手はその夢を叶えるために獨協医大に入学。
その後、宇都宮のフィットネスジム「ビッグツリー」に移籍し、ラグザ+24でトレーニングを重ねているのですが、それだけでなく、僕が高校時代に所属していた作新学院の柔道部でも(男子選手を相手に)稽古に励んでいるというではありませんか。
医学と柔道という2本の草鞋(わらじ)を履いて世界を相手に戦っていることを知った僕は、同じように「文武両道」で勉学と柔道に携わってきた人間の1人として、朝比奈選手を、微力ながらも応援できればとスポンサーに志願させてもらったのです。
試合後の疲れている時でも連絡を入れてくれる朝比奈選手の人柄に触れ、僕はあらためて彼女の優しさを感じたのです。

その朝比奈選手が、まさか柔道世界選手権で優勝し、さらには負傷した冨田選手へのへの咄嗟の気遣いが世界中から称賛されることになるとは。
本当に驚きの出来事でした。

と同時に、とても誇らしく感じているのです。


柔道世界選手権での、冨田若春選手への気遣いについて

それは、今年(2020年)6月にブダベストで開催された、柔道世界選手権の女子78キロ超級での、冨田若春選手との決勝戦のこと。
10分近くの長丁場となった戦いの末、朝比奈選手は冨田選手に反則勝ちを決め、3年ぶり2度目の世界選手権優勝を果たしました。
しかし試合途中に冨田選手が左膝を負傷。試合終了直後、朝比奈選手は立ち上がれない相手のもとへ駆け寄り、102キロの冨田選手を背負って畳を下り、深々と一礼して会場を後にしたのです。
このスポーツマンシップにのっとった姿に、会場は盛大な拍手で包まれ、称賛の声が巻き起こりました。
国際柔道連盟(IJF)も、「金メダリストの優しさ」「世界女王を体現する素晴らしいスポーツマンシップ」と称えたといいます。
けれどその一方で、この時に朝比奈選手がとった行為に、偽善だとの批判や「相手に恥ずかしい思いをさせた」という意見があったのも事実です。

実は、柔道全日本チームの方針として、国際大会で「日本人対決」となった場合、公平性を保つために畳横にコーチや監督は入らず、練習エリアのモニターから試合を見ることになっているのです。

ですから当然ながら、すぐに試合場へ助けに行くことはできません。
加えてコロナ禍の人数制限で近くに誰もいまでんでした。

そこで朝比奈選手は一刻も早い怪我の治療を優先すべく、富田選手に自ら手を差し伸べることを決意したのではないでしょうか。

それにもし大会スタッフが富田選手に助けに入ったとしても、体重102キロの富田選手を支えて、チームドクターやフィジカルコーチの元まで連れて行くことは、相当に困難なはずです。
恐らく朝比奈選手はそれら諸々を咄嗟に察し、自らが富田選手を担いで畳を降りることにした、というのが事の真相だと思うのです。

彼女自身も「一刻も早くチームトレーナーの元に引き渡すこと。この状況下で試合をさせてくれた関係者や会場に礼をして畳を降りることを鑑みると、“正解”かは分からないけど、自分のとった行動は間違いではなかったかと思っています」と語っています。

朝比奈選手の誠実なパーソナリティを知る者として、あの時の彼女の心の中には、一点の曇りもなかったと信じています。
そして彼女のとった行動は、称賛に値する立派な行いであることに異論はありません。


「元祖宇都宮ステーキ」の名を受け継いで

残念ながらベルステーキ1号店・2号店はすでに閉店してしまい、今も残っているのは「江曽島本通店」だけとなってしまいました。
そのことからも僕たちは、宇都宮にステーキを根付かせた鈴木会長のスピリットを引き継ぎ、料理長・スタッフともども「元祖宇都宮ステーキ」の名に恥じぬよう、お客さまをお迎えする責任があると思っています。

ちなみに、ベルステーキでは「秘伝の和風ダレ」を、創業当時と同様に今も手作りしています。

季節や産地などによって玉ネギの風味や水分量が変わりますし、気温や湿度によって素材の配合を微調整する必要があるので、その日の状況に応じて長年の経験をもとに精魂込めて作り上げています。
工場で作るわけではないので、365日いつでも同じ味という訳にはいきませんが、微妙に変化するバランスが良い意味での“繊細なブレ”を生み出し、何度通っても食べ飽きない味に仕上がります。
この“繊細なブレ”もまた、創業当時のおいしさを引き継ぐ、大切な味のスパイスの一つです。

宇都宮で始まり、半世紀近く愛されてきた「元祖宇都宮ステーキ」。

この伝説ステーキの味わいを、一人でも多くの皆様に楽しんで欲しいと願っています。
ぜひ1度ご来店ください。

→ ベルステーキの公式サイトはこちら

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