新着情報

2022.02.22

ベルモールからベルテラシェ大谷へ。ステーキ宮創業者、鈴木栄一様と本澤建築設計事務所の歩み

こんにちは。本澤建築設計事務所の本澤崇です。
昨年は「社長通信」をご覧いただき、ありがとうございました。

今年は、もっと色々な角度から、私自身のことも含め「本澤建築設計事務所」を知っていただけるような発信をしていきたいと考えております。
2022年も、どうぞよろしくお願いいたします。


「石のまち大谷」の新しい注目スポット「ベルテラシェ大谷」


「ベル」という名前から連想できた人がどのくらいいるだろう?とは思いますが、「ベルテラシェ大谷」を運営しているのは、「株式会社ベルモール」様です。

市内に住んでいれば、知らない人はいない「大型ショッピングモール」です。
オープンしたのは、2004年10月。今から17年以上も昔です。

そのベルモールを立ち上げたのが【社長通信】で何度かご紹介している「ステーキ宮」の創業者、鈴木栄一さんでありました。

鈴木栄一さんは、2019年にお亡くなりになりましたが、その鈴木さんの『出身地の大谷に恩返しをしたい』という念願が叶ったのが「ベルテラシェ大谷」でもあったのです。

当社と鈴木栄一さんは、当社の現会長が社長だったころから、大変お世話になっており、本澤建築設計事務所を語るには、欠かせない方です。

だからこそ、2022年最初の【社長通信】では、鈴木栄一様と事業、そして当社との関わりを振り返って、ご紹介したいと考えています。

しかしながら、鈴木さんとの関わりは私より、会長のほうが強かったこともありますので、今回は、私から当社会長「本澤宗夫」へインタビュー形式をとって、お伝えしたいと思います。


鈴木さんとの仕事が、本澤建築設計事務所の「今」につながる

-鈴木栄一さんとの出会いは?


「鈴木栄一さんはよく『とりあえず素直な奴じゃないとだめだ』と言っていました。私とは、18歳くらい年の差があって、もう弟のように可愛がってもらいました。その代わり、ものすごく厳しい。叱られるときも思いっきり叱られました。でも、鈴木栄一さんに厳しいことを言われていた人は、そのあとも長いお付き合いになっていたと思います。ご本人には『一番叱ったのはお前(※本澤会長)だな』と言われましたね。それにしても、本当に可愛がってもらったなと思います。」

-鈴木栄一さんと会長は、どのようなお付き合いをしていましたか?


「鈴木栄一さんと初めて会ったのは、私が34、5歳くらいのとき。共通の知人を介して会いました。その前から色々とご相談を受けてはいましたが、正式な最初の仕事は、江曽島にあったステーキ宮の18号店の設計でした。それから、43、4年ほどのお付き合いになりましたね。最初に会ったときの印象は、後光が差すというか、眼光の鋭さがあって、まさに『栃木の宝』だなという印象を受けました。栃木の経済界はこの方のおかげで見直されてきたことが多数あると言っても過言ではありません。」

-プライベートでの付き合いもあったのですか?


「一緒に飲みに行くことも多かったですね。カラオケに行くと谷村新司の『群青』を歌って、戦死したお兄様を想って、ポロっと涙を流していたこともありました。あと結構ダジャレが好きだったのですが、私にダジャレが通じないことも多くて、あとで顔を赤くしたり、ちょっとかわいい一面もありました。」

-最初の依頼(ステーキ宮18号店の設計)から、継続して設計依頼をもらえた理由


「ステーキ宮は、もうえらい繁盛店でしたから、それを真似したいと思う同業者がたくさんいて、うちで設計してもらいたいとやってくる。繁盛店をつくるためのノウハウがあったので、ノウハウのある所に設計してもらえれば早い、と。でも、そういうのは全部断っていました。また、私と鈴木栄一さんの関係だけでなく、ステーキ宮には『出店のスペシャリスト』がいて、その方と組んで、土地を見に行ったり、私が行政と打合せをしてきたりもしていました。そうやって各地を動いていく中で、また人とのつながりが出来たり、情報が得られたり。そうすると、だんだんと『勘』も働くというか、積み重ねた経験を元に『ここは(出店しても)いけそう』などが分かるようにもなりましたね。私が経験や人とのつながり、情報をたくさん持てるようになっていったことで、よりステーキ宮の役にも立てるようになったこともあるかもしれません。」

会長自身が多くの人と情報交換をして、それが仕事につながって、またノウハウがたまって、それを活用・応用していくという流れは、前回の記事で書いた、アルペン様やローソン様などの「多店舗展開企業」から仕事の依頼を受けることにつながっています。
積み上げたノウハウを、次に活かしていくという本澤建築設計事務所の強みは、まさに、会長と鈴木栄一さんとの仕事がスタートになっているように思います。


「まさに好奇心の塊。いつもアイディアにあふれた人だった」

-鈴木栄一さんは「経営者」として、どういう人でしたか?


「とにかく現場主義で、すぐに行動する人。私が『こういう人がいて…』と話をしたら『よしじゃあ今から会いに行こう!』と言う。とにかくスピードが速い。アイディアが浮かぶと、すぐに人に話したくなる人で、朝早くでもすぐに電話がかかってきますから、私は鈴木栄一さんのアイディアの『瞬間メモ機』のようでもありました。夜中にアイディアが浮かぶと、枕もとにメモ用紙を置いていて、それに書く。でも朝起きると、眠い中で書いた字が読めなくて『昨日どんな話をした?』と私に連絡がくるんです。とにかくアイディアが豊富。何よりも常に『お客さんのためにどうしたら良いか』を考えていて、もうそればっかりです。好奇心が旺盛で、好奇心の塊。常にお客さんの目線と、商売について考え続けている方でした。90歳で亡くなるまで『まだまだ事業をやりたい』。そういう気概のある方でした。」



大型ショッピングモール、ベルモールができるまで

宇都宮市内、近隣に住んでいる方なら、何度も利用したことがあるベルモールですが、そのベルモールに、本澤建築設計事務所がどのように関わっていたのか、当時のエピソードも会長に聞いてみました。

-「ベルモール」が誕生するまでの印象的なエピソードは?


「鈴木栄一さんの中では、25年くらい前から構想がありました。全国の都市を巡って、ショッピングモールや、大型の商業施設を見てまわって『やりたい』となったんですね。『設計は、本澤のところでできないか?』と言われたのですが、当時は規模が大きすぎて、自分のところでは実行までは難しい。なので、私は顧問として携わらせてもらうことになりました。」
「一緒にアメリカに行って、広大な敷地にあるショッピングモールをいくつも視察しました。覚えているのは、大きなショッピングモールの地下へ何台も車が入っていく光景。でも私からすれば、あんなに土地が広いのだから、平面の地上に車をとめればいいのにと思うわけです。地下駐車場を作るほうがお金もかかりますから。その話を鈴木栄一さんにもしたのですが、鈴木栄一さんは発想が違う。実際ベルモールにも地下に駐車場がありますよね?『女性は日に焼けるのを嫌がるし、雨の日に買い物をするのは大変。お客さんのためには、地下など店の近くに車をとめられるほうがいい』と言って、ベルモールの地下に駐車場を作ったのです。」

ベルモールの中には、一番面積の広いイトーヨーカドー、そして「アルペン」様の店舗(SPORT DEPO・GOLF5)が入っていますが、「アルペン」の出店に関しては、会長が縁をつなぎ、店舗の内装設計に関しては、本澤建築設計事務所が携わっています。

当時会長が、ベルモール側の顧問をしている一方、私は本澤建築設計事務所で「アルペン」様側の担当をしていましたから、出店交渉の中で激しくやり合うこともあったのは、思い出深いですね。


生まれ育った場所「大谷」への想い

- 鈴木栄一さんが「大谷」にかける想いはどんなものだったのか?


「鈴木栄一さんは、いつも自分の生まれた大谷のことを考えていました。鈴木栄一さんのお父様は、石材業の親方をやっておられて、自身もステーキ宮を起こす前には、石材業の会社を複数営んでおられました。とにかく大谷に対する思い入れが深かったです。宇都宮市では、家などの建物に大谷石を使うと補助金が出る制度があるのですが、その制度のために、市や県にも毎年、多額の寄付を続けていました。また、大谷石を積むための技術の特許も取って、ずいぶん普及したにも関わらず特許料は取っていない。『大谷石が普及してくれればいい』と言って。自分が生まれ育った大谷に恩返しをしたい、という想いが非常に強い方でしたね。」
「平成元年に起こった大谷の陥没事故でイメージダウンした大谷の活性化を願い、建築家の安藤忠雄さんと協力して、地下に美術館を作る計画も、本澤建築設計事務所と共作で進めていました。20年以上前になりますが、雑誌『新建築』でも発表されて話題にもなりました。ただ、地盤の問題で実現はできなかったのは残念でしたね。」


念願の「ベルテラシェ大谷」の建築へ


-「ベルテラシェ大谷」完成までのエピソード。会長自身の想いとは?


「生まれ育った大谷に恩返しをしたい、という想いのもと、美術館の建築計画など自分の私財は全て投入する気持ちで、大谷観光の復活を考えておられました。もともと、大谷に広大な敷地を所有していて、そこで石材業の会社を数社設立しておりました。そこに『ベルテラシェ大谷』を作ろうという計画でした。」
「鈴木栄一さんが亡くなったのは3年前。その前の時点で、地鎮祭をやろうとしてはいたのですが、大雨による姿川の氾濫で中止に。でも、そこで鈴木栄一さんも何か思うことがあったんでしょうね。設計も考え直すことに。その後も法律や予算面で何度も計画を練り直し、本澤建築設計事務所で書いた図面は3回代わり、7年近くの時間がかかっています。」
「鈴木栄一さんは私と出会ったころから、ずっといつでも大谷のことばかりでした。『鈴木さんは、大谷のすべてを開発しないと終わらないです(笑)』なんて言ったりして。ベルテラシェが完成してみて思うのは、栄一さんの親族の方や関係者の皆さまが遺志を引き継いでくれて、本当に良かったということですね。」


遺志を受け継いだ方々と、これからも手を取り合っていく

私は会長ほど、鈴木栄一さんのことは知りませんし、今回初めて聞いたエピソードもたくさんありました。ですが、曲がったことが嫌いな方で、表面上のキレイな言葉で取り繕う人も好きではなかったのが印象的です。

本澤建築設計事務所は、ステーキ宮18号店を皮切りに、約180店舗もの設計を任せていただきました。そのノウハウは、やがてアルペン様やローソン様の多店舗展開企業の設計にも生かされ、それが本澤建築設計事務所の成長を支えてきました。

今回会長に話を聞く中で「私たちは設計という技術屋だったけど、鈴木栄一さんには『経営』を教えてもらった」という言葉がありましたが、本澤建築設計事務所に「鈴木イズム」を植え付けてくださり、会長も私も「本澤建築設計事務所があるのは、鈴木栄一さんのおかげ」という想いは同じです。

念願だった「ベルテラシェ大谷」は昨年オープンしましたが、これがゴールではありません。大谷振興の拠点をより良いものにすべく、次なる打ち手を構想中です。


鈴木栄一様の遺志を受け継いだ、株式会社ベルモール社長の鈴木一雄様、長寿栄光会理事長の高石榮子様や、関係する皆様方と協力して、鈴木栄一様の想いに携わることができたのは、本当にうれしいことです。

これからも鈴木栄一様の遺志を受け継ぎ、大谷振興に携われればと思います。またこの【社長通信】をご覧の方は、ぜひ大谷の「ベルテラシェ大谷」へ足を運んでみてください。



→ 次の記事へ 本澤建築設計事務所が、デイサービス施設の設計を多く手掛ける理由とは?


→ 社長通信一覧へ戻る