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那須ブラーゼン コラム【第27回】 若杉厚仁社長コラム
 
 今回はエタップ・ドゥ・ツール参戦記「渡仏~レース前半編」です。 レポートをお送りします。

渡仏前の7月16日、なんと、高熱で寝込むような状況でもあり、7月に入ってからのトレーニングや準備によるパフォーマンスの向上は、手応えがないという印象で渡仏の日を迎えます。


 2019 年7月18日 現地では18日は移動日となり、ジュネーブ空港に到着。
レンタカーで宿泊場所となるアヌシー湖近郊へ。 19日はアヌシー湖周囲のライドを含む調整とスタート地点の下見の日。

20日は調整ライドと前日受付日。と、淡々と直前準備の時間を過ごしました。


 2019 年7月21日 迎えた当日。
スタート地は冬季オリンピックの会場にも選ばれたアルベールビル。レースの行程は、アルプス山脈の中の名物峠のひとつであるロズラン峠と、本年のツール・ド・フランスで決着の場となるヴァルトランス峠を含む135km、獲得標高4,500m です。(※ツール・ド・フランス2019 では悪天候のためコースが短縮)

出走は15のウェーブに分かれ、私は0ウェーブ(招待枠)の選手として、7時2分にスタートラインを通過し、先頭集団に加わる形でレースを開始しました。


 スタートはウェーブ(500 人~ 1,000 人程度のパック)毎に行われ、私は0ウェーブのスタート直後に強豪選手達により形成された先頭のパックに介入し、まずは最初にして強力な一級山岳ロズラン峠を目指しました。

最初の峠までは20km 強の距離があり、3km 程度の丘を含む、簡単ではないアップダウンを越えます。

この間に、先頭の速度に着いていける50名ほどにパックは縮小し、私はなんとか着いているという状態で20km をクリアしました。

この中には、元世界のトップ選手、現アマチュアのトップ選手達がひしめき、身体的な能力とさることながら、位置取りなどの小競り合いも多くあり、まさに最高峰のレースでした。


 一級山岳ロズラン峠 先頭パックでロズラン峠の麓に至り、登坂区間に突入しました。私はこの時点で身体的なレベルが到達していないことや、ポジション争いにより大きく消耗し、「オールアウト」の状態に近づいていました。 自分の感覚としては「なんとしてもついていかなくてはいけない。とにかくひとつでも前でゴールに近づかなくてはならない」と焦るあまり、自身の現状のパフォーマンスを測り違えるばかりか、そのパフォーマンスを超えてしまったときに訪れる「失速」状況を生んでしまいました。

エタップ・デュ・ツール2019 序盤、ひとつ目の山岳=ロズラン峠の入り口にして、私の脚は完全に「ブレーキ」状態となってしまったのです。

 ロズラン峠頂上以降 それ以降は、ひたすら自身の守れる最速のペースで峠を登り、この間に後方ウェーブからスタートしてきた1,000人以上の選手達に抜かれる現実と向き合いながら峠に到達します。

 下りではタイヤのグリップの限界を探りながら、アルプス特有のガドレールのないダウンヒルを全力で攻めました。 しか
し、同時にこのダウンヒルの間に大きな体調の悪化を感じていました。この日の開催地付近の外気温は30℃台後半に迫り、午前中とはいえヒルクライムの途上には容赦のない日差しを背に受け、水をかけながら身体の冷却をはかりました。

許容するパフォーマス以上を引き出したことに加えて、これまでに積んできたトレーニングが室内におけるトレーニングが中心で、高温に対する適応が不十分であったことも仇となりました。

下り区間でタイヤをグリップさせるために車体を抑える腕や脚を中心として、ほぼ全身に攣りと痙攣の症状を抱える最悪のダウンヒルとなっていたのでした。

 想定外の補給ストップ 登り区間で大きく順位を下げたことから、目標を下方修正する冷静さを自身に求めました。し
かし、意思とは裏腹に脚の痙攣がやまず、止むなく峠をくだりきった地点にあるオフィシャル補給地点で一旦の補給を決
断しました。 予定していなかった補給ストップに困惑しながらも、目標の下方修正に対する冷静さを保とうとする意志が同
時に介在していました。

結局、この補給所では20分のロスを喫していました。 焦りと重い身体を引きずったまま2つ目の峠に向かっていきます。
 
若杉厚仁
Wakasugi Atsuhito

Profile
1989年10月14日生まれ。千葉県出身。
宇都宮ブリッツェンでプロデビュー。
2013年に那須ブラーゼンに移籍、選手権取締役運営マネージャーに就任。
シーズン末に現役引退。
2016年より那須ブラーゼン運営会社「NASPO㈱」代表取締役社長を務める。