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  宇都宮ブリッツェン コラム【第25回】
 

増田がついにナショナルチャンピオンジャージ獲得!
Text・Photograph/小森信道
それでもロードでの初タイトル獲得に向け、チームの挑戦は続く


 ナショナルチャンピオンジャージ。その国の王者であることを示す特別デザインのジャージで、毎年一度開催されるナショナルチャンピオンシップで勝利したものだけが着用することを許される。選手であれば誰もが一度は着ることを夢見るものだ。

 創設11年目を迎えた宇都宮ブリッツェンはこれまで、このナショナルチャンピオンジャージを一度だけ、2017 年に獲得している。

 ただ、それはシクロクロスチームでのこと。ロードレースチームは12 年のロードレースと14 年の個人タイムトライアルで増田成幸が2位となったのが最高位。ナショナルチャンピオンジャージは届きそうで届かない、縁遠いものだった。

 そんな中で迎えた、今年の全日本選手権。増田がやってくれた。6月27日に開催された個人タイムトライアルで見事に最速タイムを叩き出し、ロードチームに初となるナショナルチャンピオンジャージをもたらしたのだ。

 今年の10月で36歳になる増田は、これまでも常にナショナルチャンピオンジャージ候補に名前を挙げられながら、なかなかその栄冠を掴めずにいた選手の一人だった。手元にある記録を辿ってみても、ロードレースでは10年9位、11年5位、12年2位、13年3位、14年8位、15年3位、16年5位と常にトップ10入り(17年、18年は病気や怪我の治療のため不出場)。個人タイムトライアルでも15 年2位、16年3位と出場すれば表彰台に絡む走りを見せている。それでも、頂点にだけは手が届かない。そんな状態が続いていた。

 今年も、過度な期待は禁物だと思っていた。なぜなら、増田は5月に開催された国際レース「ツアー・オブ・ジャパン」の第7ステージで転倒した選手に巻き込まれて落車。腰と骨盤に骨折を負っていたからだ。医者からの診断は、全治3カ月。当然、全日本選手権は欠場になるだろうと思われていた。

 それでも、増田は全日本選手権に間に合わせるために1カ月で復帰することを決意。プライベートもない状態でリハビリとトレーニングに打ち込み、骨はまだくっついていない状態にも関わらず、全日本選手権のスタートラインに立ったのだ。

 自身も初めてナショナルチャンピオンジャージに袖を通した増田は、表彰式の後に言った。「いまだに実感が沸きませんが、復帰に向けて一生懸命頑張ってきて良かったな、報われたなとホッとしています」。

 頑張った者が勝てる訳ではない。しかし、勝った者はすべからく努力している。さまざまな場面で使い古された言葉を使ってしまい恐縮だが、結局はそういうことなのだろう。そんなことを感じずにはいられなかった。

 チームとしても、ようやくひとつ目のナショナルチャンピオンジャージ獲得となった。しかし、その3日後に行われたロードレースでは増田が8位、鈴木譲が9位と、またしても頂点には手が届かなかった。ひとつ目標は達成できたが、まだまだ夢の途中。今年の全日本選手権が終了した時点から、来年の全日本選手権に向けた戦いは始まっている。
 

小森信道Komori Nobumichi
スポーツの感動を「コトバ」で読み解き、写真で伝える、編集事務所ハットトリックカンパニー代表。2011 年より宇都宮ブリッツェンオフィシャルとしてサイクルスポーツの取材を始め、現在では新聞連載やweb メディアにも数多く寄稿するなど活躍の幅を広げている。
サイクルメディアグループ「Porte au Village」メンバー。